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平等って [この国を憂いてみる(脆弱性)]

最近この国を覆っている閉塞感の根本的な原因っていくつかあると思う。
その中の一つに、リベラル的な発想というモノを、この国の人々がそれぞれ履き違えた考え方で暮らしている事を挙げてみる。



昔からある言葉、
「出る杭は打たれる」からスタンドプレーはしたくない
「長いものには巻かれろ」っていうから創造的な行動は控える
最近では、
「ナンバーワンにならなくてもいい」ってみんな言うからなろうとする努力をしないしそういう教育を受けてない
「オンリーワンになればいい」っていうけどサブカルチャー的なオンリーワンは認知度低いから不満

そして、人と違ったことをすれば奇異の目で見られ、変わり者というレッテルを貼られる。
少しでも社会的に間違った行動をすれば周りはドヤ顔して、その者に一斉砲火を浴びせる。
その結果、人によっては仕事や生活がやりにくくなる。

特に自我確立に至っていない子供たちの社会にこのような傾向が強く発現するものだが、現代はアダルトチルドレンならぬ、レベルの低い成人が増えている為なのか、大人的な行動をとることさえ奇異の目で見られているような気がしてならない。日本というコミュニティが幼稚であるから、私はそのように感じてしまうのだろうか?



世界と比較すれば、この国における社会的格差は群を抜いて安定していると思われる。
これも戦前戦後における先人方々の邁進された努力と犠牲の上に成り立っていることを決して忘れてはならないが、言いたいのはそれではない。今を生きる我々は与えられた自由と平等について、まだ良くなりたいとその二つを持つことが当然であるかのように不満を各々好きなように唱える。



ここに、雇用の安定が社会全体の生活レベルの向上に繋がり、正のスパイラルとなって社会全体が発展するという発想があるが、それ自体は間違ってはいないし、私はそれを支持さえもしている。理想的だ。

しかし、「十把一絡げ」にはされたくはない一面が実のところ、ある。誰だって良い意味での特別視をされたいものだ。
「上見て暮らすな_下見て暮らせ」と、幸福感は絶対評価をして憧れだけは持ち、不幸感は相対評価で判断をして気を紛らわす。


平等の欠点は、誰でも自分より優れた者とのみ、平等になりたいと願うことにある。
(仏作家: Henri Beck) twwitter/ # meigenbot より
これは普遍的な人類の持つ煩悩であり、これを上手く操作し、社会全体の幸福感を増すことが、コミュニティの幹部に求められる。



平等。リベラル的な発想。私はとても気に入っている。大好きである。そこから抜け出したくはない。まるで寒い日の朝の布団の中のようだ。
しかし、そこからメシを食う(経済活動を行う)には立ち上がらなければならない。それが月曜日(休み明け)の朝だろうが、睡眠時間が2時間しかなかったとしても、だ。毎日嬉々としてその瞬間を迎えられたら良いのだが、そうもいかないだろう。

平等という名の元に自由を制限するこの国の風潮は、如何とも評価し難い必要悪の様な存在である。
平等を保ちたいというこの国の閉塞感を持続させている負のマインドを、打開せねばなるまい。



国よマスメディアよ。国民に対しこれを改めるべく行動願いたい。



それでも、私、個人的には、改悪のリスクを被りたくはないのだがね。







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